村田家の朝食

2021/02/10

そろそろ梅雨に入ろうかという6月の半ば。私、村田浩は出勤の準備を終えて寝室からダイニングにやって来た。長女の春香が先に食卓についている。テーブルには3人分の朝食しか用意されていない。

「康介はいないのか」

台所から出てきた妻、恵子に尋ねる。

「今日も朝練ですって、もう出ていきましたよ」

息子の康介はこの春高校に進学してから、野球部の練習で私より早く家を出ていることも多い。

恵子とともに食卓につき、食事に手を付ける。この家の者たちは朝食の場では基本的に無言である。妻と長女に習い、私もテレビのニュース番組を見ていた。

「先日の国民投票により承認された改正憲法について、重要な点は2つです。9条による国防軍の創設。そして緊急事態条項です――」

専門家がフリップを提示して語っている。数年前に突如報じられた地球外生命体の侵略。それから保守派の政治家たちはたちまちに力をつけていった。こうして家族で朝食を囲んでいると、この国が危機に瀕しているなど遠い世界の話のように感じる。政府とマスコミが不安を煽るのに我々は騙されているのではないか。

「そういえば聞いた? 康介、国防軍目指すんだって」

同じようにテレビを眺めていた春香が思い出したように言う。

「いや、聞いてないな。恵子は聞いていたか?」

「ええ。国防大学校に入りたいんだって……、張り切ってましたわ」

恵子は複雑そうな表情で答える。息子の夢は応援してやりたいが母親としてはやはり心配だろう。

再び沈黙に包まれた食卓に、やけにはっきりと先程の専門家の声が聞こえてくる。

「この改憲により、他国とのより強固な軍事的連携が可能となり――」

大丈夫だ、康介が戦争で死ぬわけない。そう声をかけてやろうかと思ったが、やめた。なんの確証もない、自分に言い聞かせるための言葉でしかないと気づいたからだ。